前田綾の存在感。 [さよならノーチラス号2009]
1995年入団の前田綾。
実は入団前の1年間は、僕の会社・株式会社ネビュラプロジェクトのアルバイトだったのです(←あれっ?!こーゆー話、このネタバレブログで最近聞いたばっかだぞっ?!)。
1994年の劇団員オーディションの最終審査が終った後、オーディション会場に忘れ物をした前田が、事務所に戻ってきまして。
(……あれ?当時は当日その場で結果発表していたんだっけ……?!)
その場で、「きみ、ウチでアルバイトしない?」と僕がスカウトしたのでした。
中学校ぐらいの頃から観に来てくれていて、劇場ではよく知っていた子だったので、その声のデカさと底抜けの明るさを知っていた、というのもあるのですけど、いかんせん受けに来た頃はまだ若すぎて、緊張しすぎて前田の良さを発揮できていなかったのでしょうね、おそらく。
でも、僕はそんな明るさが会社に欲しい、と思って誘ったわけですけど、またしても1年後、オーディションに合格してしまって岡田達也に続いて重要なスタッフを失ってしまったのでした……。
で、その後、1996年春のハーフタイムシアター『TWO』でデビュー。……硬かったなぁ……。
そして、それから35作品めの今回。
2時間のこの舞台に出突っ張りでありながら、見せ場、とか、決めゼリフ、とか、お客さんの印象に残るようないわゆる「ストーリー」に関わることなく、ずっとずっとタケシの語りを聴き続ける、という役を演じてしまいました。
キャラメルボックスの芝居では、こういう「聞き役」がたびたび登場します。
が、この役どころは、非常に難しいのです。なぜなら、舞台上にずっといるのだけど、回想のさまたげになってはいけないし、かといって存在感を発揮して盛り上げる、ってこともできないわけですから。
が、僕は思うのです。
タケシが今作家としてようやくデビューして、活き活きと自分の過去の物語を語ることができている、ということは物凄いことだな、と。
小学6年生の頃は、話し相手が一人もいなくて、だからこそ、見るに見かねたイヌのサブリナが声をかけてきてくれたわけで。
でも、今のタケシには前田演じる森真弓がいる。
タケシの語ることを全て最後まで聞いてくれる理解者がいる。
これは、本当にタケシにとっての幸せだと思うのです。
きっと、タケシが書き上げた小説は森さんの売り込みとプロデュースによって、なんとディズニーの目に留まって「サブリナ」という映画になって全世界で大ヒットしたのでしょう。間違いないですっ。
岡田達也=根本勇也。 [さよならノーチラス号2009]
サブリナ三世。 [さよならノーチラス号2009]
今回の東京公演のゲネプロで、僕のシャッター数は2713。
通常の芝居のゲネプロでは、多くて1800。
なんでそんなことになってしまったのかというと、坂口理恵演じるサブリナの一挙手一投足を記録したくて、2700枚中1500枚くらいがサブリナを連写していたのです。
なにしろ動物なので、じっとしていてくれませんから、その表情を切り取るには連写しか方法が無かったのです。
そんな中、ラストシーンのサブリナ三世になって出てくる坂口。
もう、この写真の1枚1枚で、僕は泣けちゃいます。
ぶっちゃけた話、この6枚、泣きながら編集しました。
なんて素敵な笑顔。
なんて可愛いイヌ。
なんて切ない表情。
15年前のサブリナの前に、三世の姿をお届けします。
ダンスシーンの岡田達也に釘付けっ!! [さよならノーチラス号2009]
僕は、『風を継ぐ者』大阪公演の本番にずっと付いていたため、『さよならノーチラス号』は通し稽古を1回しか見られませんでした。
芝居は、その段階でかなり面白くなっていたので、「もう大丈夫」と確信し、2度目・3度目の通し稽古を見に東京に帰ることはしませんでした。
『風を継ぐ者』大阪公演千秋楽の夜に東京に戻って、翌朝から紀伊國屋サザンシアターでテクニカルリハーサル。
サウンドチェックのつもりで見始めた、オープニング。
ダンス曲&テーマ曲『さよならノーチラス号』がかかって、踊り始めるみんな。
実は今回、98年版と、若干編集が異なっているのです。
それは、サザンシアターの「21時までに芝居が終っていなければならない」という決まりを守るため、芝居全体を刈り込まざるを得なかったからでした。と同時に、「120分以内に終らせる」というキャラメルボックスの鉄則もあり。
つまり、この10年くらいの間に、キャラメルボックスの芝居は明らかに変わってきていて、同じ台本を使って同じようなテンポで芝居をやっても、どうしても時間が伸びてしまう、ということがわかってきているのです。
それは、僕が思うに、一つ一つの台詞を、以前はマシンガンのようにしゃべっていたのを、ここ10年でみんながきっちりと発音して伝えようと努力することによって、同じようなテンポに見えて実はしっかりとしゃべっていて、一つ一つの台詞が0.001秒くらいずつ長くなっていっているのではないか、と。
そういうわけで、台本も短くなっているのですが、ダンスシーンも短くなっている、というわけでした。
が、まったく短く感じない。
何故だっ?!
……そうなんです、川崎悦子先生の振付も、変わっているのですっ!!
役者達に言わせると、「地獄のダンス1000本ノックの1週間」だったそうで、11年前のダンスより遙かに難しく、現在の彼らの能力をはるかに超えた振りが付けられてしまったのだそうです。
そんなこと、まったく気づかずに見ていた僕は、総毛立ちました。
かっちょよすぎるぅぅぅぅぅっ!!
特に、岡田達也に目は釘付け。
いつもだと、ゲネプロでダンスシーンを撮影する時は広角レンズを使って引き気味でダンスそのもののカッコよさを撮ろうとするのですが、そんなわけで今回は望遠レンズで岡田達也を追い続けました。引きの写真はプロの伊東さんにおまかせっ!!
ちなみに、岡田達也は1992年入団ですが、その前の1年は実は僕の会社・株式会社ネビュラプロジェクトで社員として働いていたのです。なぜなら、前年のオーディションで落ちたのですが、なんとなく、彼の素養が気になって僕から誘ったのでした。
で、92年に晴れて入団。
「情実合格だ」とか「裏口入団だ」とか、いろんなことを言われつつ、1993年春の初舞台『四月になれば彼女は』。……あいたたたたたたた……。今でも上川や近江谷太朗から、「いやー、アレはひどかったなー」といたぶられているほどに、なにしろそれまでまったく演劇経験が無かったわけですから、舞台上を普通に歩くことさえできないような感じでした。
そんな岡田達也が、今回でキャラメルボックスの舞台は55作品め。
外部出演を含めたら、もっとものすごい数の舞台に立ち続けてきた、というわけです。
その達也が、このノーチラスの舞台のセンターで、光り輝いて踊っている姿は、もうすぐ48歳になろうという僕の目にさえ、超かっこよく映ったのですっ!!
一言で言えば、シビレました。
そんな達也の姿を、ご堪能くださいっ!!
タケシ。 [さよならノーチラス号2009]
『さよならノーチラス号』東京公演が終りました。
初日が開いてから、突然予約が殺到して、そのうえ当日券のお客さまもたくさんいらしていただいたため、関係者には調光室に行ってもらって席を空ける、なんてことをしたりして、でも日によってはご入場頂けずにお帰りいただくことになってしまったステージもあった、という、制作側としては胸が痛む日々を送ることになってしまいました。
普段750人収容のサンシャイン劇場で上演しているため、皆さん、「きっとなんとかなるでしょ」と思ってくださっていたと思うのですが、いかんせんサザンシアターは460人。入れる人数にも限りがあり、いかんともしがたい状況でした。
予約をお断りせざるをえなかった皆様、お帰りいただいてしまった皆様、本当に申し訳ございませんでした。
そんな東京公演でしたが、舞台の方は、若手中心のキャスティングを岡田達也と坂口理恵、そしてオリジナルメンバー・真柴あずきが脇から支え、溌剌とした、しかしせつない舞台に仕上がったかと思います。
オープニングのダンス曲『さよならノーチラス号』がかかった瞬間に涙が出たとか、坂口理恵演じるサブリナが出てきた瞬間に号泣した、という、98年バージョンをよくご存じのお客さまもいらっしゃったり(←自分も含め)、テレビやビデオでしか知らなかったこの作品を生で観られて嬉しかった、という最近キャラメルボックスを知ったという皆さん、そして、SCUDELIA ELECTROの音楽がかかるから、と初めてキャラメルボックスにご来場くださった皆さんなどなど、バラエティに富んだ客席でした。
嬉しかったのは、98年初演の年に産まれたお子さんを連れて来てくださったご一家がいらっしゃったこと。
もう、11歳の男の子。
5年生ですね。
主人公のタケシは6年生の設定ですので、ほぼ自分の年齢の少年を大人の多田直人が演じている姿を、どう感じてくれたでしょうか。
そういうわけで、17日(木)から大阪公演。
大阪は、木・金・土の19:00の回はまだまだお席がございますので、安心してご予約ください。
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『さよならノーチラス号2009』のネタバレブログ第一弾は、初主演の多田直人演じる、タケシ。
初演では「ミスター・キャラメルボックス」こと西川浩幸が演じた、最初から最後まで舞台の上にいっぱなし、という難役を、ついに演じきりました。
つらく切ないその表情を、どうぞ。